2017年5月25日 (木)

観音竹

                  Photo

2017年5月24日 (水)

5月の緑

Dsc_4416

2017年5月23日 (火)

白い木の壁

                  Dsc_4405

2017年5月22日 (月)

黄色い夕方の壁

Dsc_4398_rev

2017年5月19日 (金)

木の壁

                  Dsc_4396_rev

2017年5月18日 (木)

樹と建物

Dsc_4384

2017年5月17日 (水)

                  Img_0089_rev

2017年5月16日 (火)

ドア

                  Img_0096_3

2017年5月15日 (月)

                  Img_0093_rev

2017年5月12日 (金)

Img_0095_2

2017年5月11日 (木)

Img_0092_rev

2017年5月10日 (水)

歩道の花びら

Dsc_4378_rev

2017年5月 9日 (火)

路上の花びら

「万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、生あり死あり、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。・・・略・・・しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。」(道元「正法眼蔵」<現成公案>)

(あらゆるものがともに区分的・文節的な自己でない時節には、二元対立的なものであるところの、惑いもないし悟りもない、仏もないし衆生もない、生もないし滅もない。・・・略・・・しかし、たとえそうではあっても、やはり、きれいな花は惜しまれつつ散り、そうでない雑草は嫌われつつ生い茂るものである。)

Dsc_4373


2017年5月 8日 (月)

「本無華なりといへども、今有華なることは、桃李もかくのごとし、梅柳もかくのごとし。」(道元「正法眼蔵」<空華>)

(花は本来的には空であるとはいっても、その空の花は、今、確かに存在している花でもある。この事情は、目の前の桃の花や李(すもも)の花についても同じであり、目の前の梅の花や柳の花についても同様である。)

Dsc_4400

2017年5月 5日 (金)

つた

                  Img_0084_rev

2017年5月 4日 (木)

つた

                  Img_0082_rev

2017年5月 3日 (水)

昭和10年(1935年)頃に作られた野菜倉庫の壁である。今は使われていない。

Img_0860_rev


2017年5月 2日 (火)

春の夕方

                  Img_0854_rev

2017年5月 1日 (月)

「セロニアス・ヒムセルフ」と「正法眼蔵」

ジャズピアニストであるセルニアス・モンク(1917 – 1982)のたとえば「セロニアス・ヒムセルフ」というピアノソロアルバムを聴いていると、道元(1200 – 1253)の「正法眼蔵」の一節を読んでいるような気分になります。
 
ジャズが好きでもセロニアス・モンクが嫌いなかたは、彼独特の不協和音や彼独自のリズム(リズムのとぎれや乱れ)にうんざりして彼から遠ざかったみたいですが、モンクを好きなかたにとってはそこが彼の魅力の源泉です。道元の「正法眼蔵」のような形而上学的著作物では彼が意識的に作り出す独自の不協和音やリズム感の「前後際断」に頻繁に出会えます。
 
「正法眼蔵」はわかりにくい書物です。禅を含む仏教全般の知識がある程度あるくらいでは歯が立たない。わかりにくさの理由は、おそらく次の二つです。
 
そのひとつは、言葉や用語の定義。「この言葉(この用語)はここではこういう意味で使います」というその定義の仕方(というか使い方)がとても大胆なこと(たとえば「悉有仏性」、これについては後述)。
 
もうひとつは、ある言葉(用語)をある意味で(ある定義で)使ったあと、その同じ言葉(用語)をすぐあとに別の意味で(別の定義で)使うという不協和音的な転調が好きなことです。たとえば、自己。同じ自己でも自分を含む世界を区分しようとする自己とそういう執着から自由になった自己とが同じ自己という言葉で連続し、どちらの自己かは文脈から判断するしかないのですが、文章自体がいわば不協和音の響きを内在させた音楽みたいなものなので、それほど簡単ではありません。
 
後者(二つめの理由)に関してひとつ追加すれば、極端な場合には、たとえば複数の漢字からなる用語(たとえば、古仏心)を説明しながら、説明の後でそれを三つに分解し、そのうちの二つを自由に組み合わせて(たとえば、古心、心古、心仏など)新しい意味を創り出すといったことにも躊躇がありません。読者にとっては、新たな不協和音の登場です。
 
「一切衆生悉有仏性」というぼくたちにとって比較的おなじみの表現は、通常は「一切衆生、悉く(ことごとく)仏性(ぶっしょう)有り」(すべての存在に仏性―如来蔵とも呼ばれている-がある)と読み、仏性の有無を説明する表現ということになっていますが、道元はそう読まない。彼の形而上学がそう読ませない。「悉有(しつう)は仏性なり」と強引な(つまり高校の漢文の授業だったら教師から間違いだといわれるような)読み方をします。
 
人も草木も石も山も風もすべての存在は、仏性が、そのまま、それぞれにそれぞれの瞬間に顕れたものであるという「空」の構造を道元風に表現したものが「悉有(しつう)は仏性なり」です。ちなみに、仏教という絶対者を想定しない形而上的な思想においては仏性とは真理(曖昧な言葉ですが)のことです。別の形而上的な表現だと「空(くう)」とも云う。
 
何もないところから、人も草木も石も山も雲もすべての存在が顕現します(なにもないのでその意味では空であり無です、しかし、顕現するということは、それらの潜在態がすべてそこにあるので、その意味では有であり空です)。
 
「般若心経」という短いけれどもとても哲学的なお経があります。そのお経はこの存在の往復運動(循環運動)のことを「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」とまとめました。「悉有(しつう)は仏性なり」は、仏性を軸にそのまとめをさらに道元流に凝縮したものと云えます。
 
正法眼蔵のある章だけを読み返し、そのあとセロニアス・モンクの好きなピアノソロアルバムの好きな曲だけを数曲聴き返すというのもけっこう楽しい作業です。順番は逆でも構わない。


2017年4月28日 (金)

七分咲き

満開よりも七分くらいが好きである。


Dsc_4369_rev

2017年4月27日 (木)

早春の夕方

                  Img_0852_rev

2017年4月26日 (水)

提灯と暖簾

Img_0845_rev

2017年4月25日 (火)

掛けたばかりの暖簾

夕方五時の暖簾である。今日はこの暖簾をくぐった客はまだいない(と思う)。

Img_0850



2017年4月24日 (月)

掛けたばかりの暖簾

夕方五時の暖簾である。中に客はいない(と思う)。

Img_0848_rev

2017年4月21日 (金)

シンジュの種

Img_0036_rev_2

2017年4月20日 (木)

閉店後のお店

Img_0800rev

2017年4月19日 (水)

夕方の駅前広場

                  Img_0808_rev

2017年4月18日 (火)

所用先の春

Photo

2017年4月17日 (月)

所用先の春

A2

2017年4月14日 (金)

朝のガード下

Img_0798rev

2017年4月13日 (木)

雨と傘

ある朝の風景。四月半ばの雨と傘は、札幌では、春の印である。

              Img_0045_4_rev

2017年4月12日 (水)

街のメッセージ

Img_0037_2

2017年4月11日 (火)

樹と残雪

                  Img_0039

2017年4月10日 (月)

雪が消えた朝の歩道

                  Img_0792_rev

2017年4月 7日 (金)

朝の通りと遠い山の残雪

                  Img_0790rev

2017年4月 6日 (木)

                  Img_0758_2

2017年4月 5日 (水)

                  Img_0761_2

2017年4月 4日 (火)

                  Img_0758_2

2017年4月 3日 (月)

                  Img_0753_rev

2017年3月31日 (金)

春の夜の霙(みぞれ)

Photo

2017年3月30日 (木)

陽射しは春

                  Img_0008_bw

2017年3月29日 (水)

街のメッセージ

Img_0002

2017年3月28日 (火)

残雪

Img_0011_rev

2017年3月27日 (月)

休日の夕方の駅舎

Img_0736_rev

2017年3月24日 (金)

昭和10年頃のタマネギ倉庫

昭和10年頃に造られたタマネギ倉庫である。今は使われていない。

Img_0731_2_10


2017年3月23日 (木)

昭和10年頃のタマネギ倉庫

昭和10年頃に造られたタマネギ倉庫である。今は自動車修理工場になっている。

Img_0727_rev_10

2017年3月22日 (水)

線路と雪解け

線路からも、雪が消え始めた。

Img_0723_rev


2017年3月21日 (火)

階段

Dsc_3992_rev

2017年3月17日 (金)

朝の駅

Img_0700_bw2

2017年3月15日 (水)

夕方の丸い月

夕方の丸い月。札幌郊外。満月かもしれない。

                 Img_0711   

2017年3月14日 (火)

夕方の駅

                  Img_0693_bw

2017年3月13日 (月)

春の雪

きれいな朝の白である。もう降ってほしくないのだが、しかたがない。春の雪なので、枝に積もったのは、2時間くらいで消えてしまう。

Dsc_4358

2017年3月10日 (金)

夜の雪

雪の上の不思議な模様。大きな長靴を引きづるようにして歩いて描いたのか。

Img_0696

2017年3月 9日 (木)

春の雪

002

2017年3月 8日 (水)

夜の駅

雪は降っていないし、積もっているのも少なくなってきた。もう降らなければいいのだが。

                  Img_0686bw


2017年3月 7日 (火)

夕方の駅

夕方の駅構内。日が長くなった。

Img_0675bw2

2017年3月 2日 (木)

雪と足跡

Dsc_4103

2017年3月 1日 (水)

夜明け前

夜明け前。外気温は、マイナス8℃。

Dsc_4346_25mm_f4

25mm f4

 

2017年2月28日 (火)

冬の朝の駅

休日の朝の駅。空気は冷たく澄んでいる。乗客はまばらである。

Img_0670bw2

2017年2月22日 (水)

雪と樹木

雪と寒さが、また、ぶり返してきた。

Dsc_4197_120mm_f4_1_rev

120mm f4 

2017年2月21日 (火)

夜の上り線路と下り線路

ある駅の夜の上り線路と下り線路である。手前の上り線路に、まもなく接近中の列車が停止する。

Photo

 

2017年2月20日 (月)

氷の花

ガラス窓の氷の花。外はとても寒い。

10

 

2017年2月14日 (火)

雪とシンジュ

シンジュの種は雪の降る中も高く飛翔して、着地する。

Dsc_4342_95mm_f4

95mm f4

 

2017年2月13日 (月)

朝のプラットフォーム

早朝のプラットフォーム。列車に注意してください、という放送はあったが、黄色い線の後ろに下がってください、というメッセージはなかった。

Img_0507

 

2017年2月 9日 (木)

朝の雪

開放感のある朝の雪。

Dsc_4137_2_rev_105mm_f4

95mm f4

2017年2月 8日 (水)

冬の夜

「さっぽろ雪まつり」。

Img_0591

 

2017年2月 7日 (火)

朝の風景

雪はとても遠慮気味に降っている。そういう朝。

                  Img_0166 

2017年2月 6日 (月)

朝の歩道

朝の歩道。除雪車というか除「氷」車で、それなりにゆったりと歩ける幅を確保する。

                  Img_0163

 

2017年2月 3日 (金)

街のメッセージ

寒い日の街のメッセージ。

Photo
 

2017年2月 2日 (木)

雪が積もる

こういう雪だと、閉じ込められた感じになる。

Img_0484_rev

 

2017年2月 1日 (水)

寒い日の乾いた雪

とても寒い日の乾いた雪。霰(あられ)混じりである。

                  Photo  

 

2017年1月31日 (火)

冬の夜明け前。気温はマイナス12℃。

外気温はマイナス12℃。夜明け前の真冬の空気は澄んでいる。三日月も見える。

117_24mm_f11

24mm f11

2017年1月30日 (月)

早朝の駅構内のレール

休日早朝の駅構内。けっこう寒いが、風がないのが救い。

B
 

2017年1月26日 (木)

土曜の午後の陽射し

夏の陽射しもいいけれど、真冬の土曜の午後の陽射しも捨てがたい。

Dsc_4288_46mm_f4

46mm f4

2017年1月25日 (水)

初夏の午後

雪の日には、初夏の光と空気で気分転換。

A2

 

«吹雪のあと